1998年05月27日

四百字随想その32

1.団体ツアー
(一九九八.五.六)=社会=
先日、ロンドン、パリ、ローマとヨーロッパを駆け足で旅行したが、ごたぶんに漏れず、団体ツアーであった。団体ツアーのいいところ、まず安価なことである。普通なら片道航空運賃ぐらいで八日間ぐらい滞在費食費が付いて旅が出来る。それに大変親切でよく物事を知っている優しい添乗員が付いている。その上、見所というか、必要な名所や旧跡をくまなく見せてくれ、治安状況などの情報を教えてくれる。それでは本当の言葉など聴けないという人がいるが、それは寸暇を惜しんでいろんなお店に入ったり、街の中で普通の人と会話することによって解決できる。ただ旅の恥は掻き捨てのようなどんちゃん騒ぎをしたり、みんなで渡れば恐くないというような傍弱無人な態度をとったりする人がいるが、これは団体ツアーの責任ではなく、参加した人の品性の問題である。これからもいろんな形で団体ツアーに参加して見聞を広め、自分の目で外国を確認したい。

2.五 月 病
(一九九八.五.一三)=社会=
大学に入ったり、就職したりして二ヶ月目ぐらいに何となくけだるくなったり、無気力になったりすることを五月病というらしいが、誰でも彼でもなるものではないようだ。現にうちの子供たちはだれ一人五月病らしきものには大学に入ったときも職に就いたときもかからなかった。それは彼らにとってわき目を振っている暇もないほど自分の目的感を持っていたからだ。大学には入ることが目的ではなかった。その大学で研究すること、それに遊ぶことであった。ところがほとんど遊ぶ暇もなかったようである。職に就いたときもそうであった。自分の存在感をどう表現するか。自分が追求した成果を役立てるには何をやればいいか。誰かが喜んでくれるものをどう作りだしていくか。そういう実践を頭で考えるのではなく行動に移しているとき、五月病は逃げていく。頭で考えるのは私のようにいい年になってからでも間に合うし、私でさえ行動が先である。
(平成一〇.五.一三東京新聞夕刊掲載)

3.老 人 介 護
(一九九八.五.二〇)=社会=
自分自身、まだ老人だとは認めたくないが、やはり六十を超えると老人の範疇に入ってくる。今年から本格的なウォーキングを始めた。その目的は「元気で(G)長生きして(N)ポックリと(P)」である。歩くこと、つまり脚を鍛えること、これは動物の生きている証である。脚が萎えても生きていることがどうも老人介護を必要とするような感じがする。そこで私はウォーキングの趣旨を「地球温暖化の防止と医療費負担の軽減」と大それたことを唱えている。たった四ヶ月の間に体重が変わらずにウェストが五センチほどしまり、太股とふくらはぎが膨らんだ。つまり、この年になって体格が成長した。健康で生涯を送り、脚がいうことを利かなくなったとき、ポックリと安らかに消え去ることが出来れば、老人介護の問題は解決する。ウォーキングクラブGNPは会員八十人ほどのささやかな集いであるが、毎週歩き続け、老人介護問題の一助になると信じている。

4.サッカーくじ
(一九九八.五.二七)=社会=
こういうことには余り目くじらを立てるものではないのかもしれない。賭博であることには間違いはない。それに一攫千金を求めて人が働かなくなるかもしれない。法律が出なければやれないということは、つまり禁じられていることを特別に実施しようということである。ところがこのくじに群がるようにたくさんの人が参加するということになると相当な集金能力が出てくる。強制的に参加させられるわけではないから参加しない人にとっては間接的に利益を受けることになる。面白い現象である。賛成する人がお金を出し、反対する人が利益を受けることになる。超逆進的な税制とも言えるが、喜んで合法的にお金を出す人がいる間、出させればいいのかもしれない。それがいかにつまらないことかが分かれば、自然に消滅することになるはずだ。そういう意味で、私は参加する気はないが、この制度には反対しない。
(平成一〇.五.二七東京新聞夕刊掲載)

Posted by taichiro at 1998年05月27日 09:23