2009年02月07日

◎第555回[田端・尾久下町情緒溢れるレトロな街並を訪ねて]

 平成21年2月7日(土)午前10時=約9㌔=
 田端駅北口集合→東潅森稲荷神社→尾久銀座→熊野前→首都大学東京→尾久の原公園(休憩)→尾竹橋公園→荒川自然公園→荒川公園→三ノ輪駅解散
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尾久の原公園の湿地に架かる木道。

◎第555回[田端・尾久下町のレトロな街並を訪ねて]
 2月7日(土)午前10時、JR田端駅北口を出て新田端大橋を渡り、JR東京支社ビル前で受付、広場に集合したのは56人。快晴ながら冷たい風が吹く中、広場で2月19日下町舞台ツアーの申込、今日の別コースの説明等打合せ、体操をして出発する。
 新田端大橋から下の道へはそのまま真っ直ぐ進めず、スロープを下りてガードをくぐり、橋の下の道へ戻る。滝野川4小を過ぎ、東潅森稲荷神社で鉄パイプの赤鳥居をチラッと覗いて東北本線をくぐり、田端新町2で明治通を渡る。二又を右に進み、尾久銀座へ入ると、老若男女結構人出が多く活気がある商店街だ。JRコースが左折する分岐で、右手は川の手もとまち、GNPは、「はっぴいもーる熊野前」へ直進する。東尾久8で都電荒川線へぶつかり右折、日暮里・舎人線が上を通る尾久橋通を熊野前交差点で渡って、首都大学東京の前を過ぎ、尾久の原公園へ入る。
 この辺り一帯は、かつて旭電化の工場と隅田火力発電所があり、太平洋戦争が始まって4ヶ月、昭和17年4月18日、本土初の空襲を受けアメリカ軍B25爆撃機の標的にされた。戦後、工場の転出後跡地利用をめぐって紛糾し、何年かの月日が経つうちに雨水が溜まりヨシなどの湿生植物が生い茂り数多くの動植物が回帰。特にトンボは希少品種を含む30種、野鳥も60種以上が確認された。自然保護団体などの努力により、平成5年、自然を活かした「尾久の原公園」としてオープンした比較的新しい都立公園である。水深が分からない広い湿地では、鳥たちが歩いているのか泳いでいるのか、のどかに遊んでいた。湿地に架かる木道でじーっと水面を眺めるお年寄り、広々とした芝生で走る幼児、若者ものんびり歩いていた。近くの学校や幼稚園の子供たちが自然観察に良く来るそうだ。
 公園をぐるりと回って隅田川の土手に出て、カミソリ堤防の内側を歩く。まだ整備されておらず、ボロボロの建物や設備がそのままになっていた。尾竹橋で前に進めなくなって上がり、細道をぞろぞろ、くねくねと歩く。集団迷子にもならず、第七峡田小を過ぎ、突き当たって右折、町屋ひろば館北を左折、荒川第五中を右折、予定コースにある町屋ひろば館を過ぎ、京成本線をくぐって、ようやく荒川自然公園へのスロープに辿り着き、ほっとして上る。三河島水再生センターを眺めながら公園に入り、交通園前の広場で休憩する。
 園内の名残のばら、梅を楽しみ、池では人懐っこい白鳥に噛み付かれ、オオムラサキの飼育舎を眺め、「万両・千両・百両・十両・一両」の説明板を読み、自然公園を出て坂を下る。都電を渡って区役所東を左折、荒川区役所に隣接する荒川公園に入って解散した。それぞれ明治通へ出て日比谷線三ノ輪駅へ向う。
 予定した川沿いの道が通れず、おろおろしたせいか、三ノ輪駅までの道が随分長く感じた。迷ったけれど、渋滞の追越禁止よりもずっと快適だった。お昼を食べて元気になって帰宅。

Posted by taichiro at 2009年02月07日 21:44