2006年05月13日

◎第419回A [自然と歴史が語りかけるまち『松戸』散策]

5月13日(土)午前10時=約9㌔=
JR松戸駅中央改札口集合→戸定ヶ丘歴史公園(打合せ・体操)→浅間神社→野菊の墓文学碑→野菊のこみち→矢切の渡し→宝蔵院→めがね橋(小山樋門)→善照寺→松戸駅解散
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写真は、野菊のこみちで、野菊ならぬ可憐なアイリスが咲き乱れていた。

◎第419回A[自然と歴史が語りかけるまち『松戸』散策]
 5月13日、早朝に千代田線新御茶ノ水駅付近で保安装置の故障があり、運行が乱れていて、10時の集合時間ギリギリに着いてしまった。
 松戸駅中央改札口のJR受付場所に集合したのは34人。予報より早く降り始めた雨と打合せ事項がないこともあり、体操も省略して自由歩行とし、それぞれひんやりした雨の中へと傘に合羽で歩き始める。
 東口から二階通路で繋がったイトーヨーカドーに突き当たり、右に進むと、左手に相模台公園の鬱蒼とした森。入ってみたかったが、そのまま素通りする。松戸会堂信号で右の細い道に入ると戸定が丘歴史公園の案内板。
 石段を上り茅葺の門をくぐって大木が繁る邸内に入る。歴史館・戸定邸の共通入館料200円を払い、見学する。「戸定邸」は、徳川慶喜の名代としてパリ万博に派遣され、その後パリに留学した、最後の水戸藩主徳川昭武が、明治17年に建てたという。大名の下屋敷を簡略化したつくりで旧大名家の別邸として貴重なものとか。芝生が拡がる和洋折衷式庭園は千葉県の名勝に指定されている。靴を脱いで、内倉、客間、居間、離れ座敷、湯殿など、邸内をボランティアの方に案内してもらう。質素だが素材にはいいものが使われていて、鴨居が低く、畳が小さいように感じたのは当主の昭武さんは小柄な人だったからだろう。晴れていれば書斎から江戸川越しに富士山が見えるそうだ。
 将軍慶喜の実弟の昭武氏、宮家出身の正室、藩主の娘の後妻、使用人、と部屋も洗面所も風呂も別々で、身分制度が毎日の生活の中に厳然と存在していた様子が伺える。くねくねと曲がって長い廊下は、金沢の忍者屋敷を思い出して楽しくなり、長居してしまった。
 JR常磐線と新京成線との分岐にある歩道橋を渡り、山岳信仰の浅間神社へ。県の天然記念物に指定された極相林で、20メートルの山頂に社がある。
 水戸街道の下をトンネルで抜け、松戸2中から上矢切へ。信号から右に入ったが、参加者が少なく心細かったけれど、見覚えのある矢切神社に出てほっとする。「矢切」とは、戦国時代、多くの民衆が戦の中で倒され、戦場に駆り出されるのを嘆いて「矢のない時代」を望んだもの。つまり平和の意味だそうだ。野菊苑に上り橋を渡って野菊の墓文学碑を見て、田園風景の中に下りる。雨のため、「野菊のこみち」は通れず迂回路へ誘導される。水路脇にアイリスがたくさん咲いていて、風も強くなり気温も下がり歩きたくなーい気分を慰めてくれた。江戸川の土手は吹きさらしで寒い。「矢切の渡し」の旗もなく欠航のもよう。ゴルフ場はプレイ中の物好きが結構居た。カットしようもなく、ただただ前へと進む。
 葛飾大橋が見えた頃土手を下り、宝蔵院で眼鏡をかけた「お勉強地蔵」に挨拶し右折、溝蓋の上の歩道を進む。道路下のガードをくぐりしばらく行くと水路に出る。あやめ、露草など雨の似合うきれいな花がしっとり輝いていた。
 新開橋を渡り川に沿って進む。レンガ造りのめがね橋(小山樋門) を渡り、また坂川に沿って歩く。川沿いの道は木や竹があり、何故か懐かしい風景だ。賑やかな街中にあるのに大木が生い茂っている松戸神社は不思議な存在。川沿いの小さな鳥居をくぐると水路は左へ曲がり、右には伊勢丹があり、駅前の雑踏へ続いている。程なく松戸駅西口のゴールへ、1時半到着。バッジを貰って解散する。

Posted by taichiro at 2006年05月13日 20:29