2003年03月22日

山手線唯一の踏切り

◎第261回【雑司ヶ谷みち・鬼子母神】
 3月22日(土)午前10時、戸山公園に集合したのはゲストを入れて43人。今にも雨が降りそうな曇天で、そそくさと体操を行ない、出発。

 瀟洒な学習院女子大の古めかしく錆びた校門を眺めながら諏訪通を横断。すぐに路地に入り、右に曲がり、左に、また右に、そして左に曲がり突き当たると水稲荷神社。そこを右に曲がり、南口から甘泉園公園に入る。左に池を見ながら半回りして庭門から出て都電荒川線を横断、中之橋で神田川を渡る。
 階段もある日無坂を上り、目白台2丁目交差点から裏道を通り旧雑司ヶ谷道を歩き、鬼子母神を横目に見て明治通を横断、旧長崎道を歩く。おそらく山手線唯一と思われる長崎道踏切で、案の定待たされる。埼京線と山手線がひっきりなしに上下線ともに走っているのだからなかなか開かない。いつのまにかGNP全員が踏切前で屯するような賑やかさ。10分ぐらい待ってやっと開いて全員渡ることが出来た。おかげで大正4年に築造されたといわれるレンガ造りの橋台をじっくり見学できた。
 上り屋敷公園で小休止。住宅地からいきなり池袋西口の繁華街に出くわすような思いで、池袋ゆかりの池に着く。これは人工の池で、むかしここにたくさんの池があったので、池袋と名付けたそうだが、何故だか小さな池の上に梟が飾ってあった。「池に梟」で「池袋」。よく出来ました! 
 大回りして池袋大橋を渡り、水天宮を眺め東口に出る。ちょっと歩き方を変えるだけで何となく池袋の位置関係が見えてくるから不思議だ。南池袋公園からぐにゃぐにゃ曲がりながら都電荒川線を跨ぐと目の前が雑司ヶ谷霊園。
 お彼岸の中日ということで霊園の中は人と車でいっぱい。ほとんどの墓に花が供えられ、お線香が燻んでいた。またまたぐにゃぐにゃ下っていくと雑司ヶ谷の鬼子母神が掘り出された鬼子母神にたどり着くが、寂れた佇まいだった。
 歩道橋を渡り護国寺を横目に見て、路地の中に入ると、どういうわけか戦前の東京が目の前に現れ、吹上稲荷神社には何と「紀元2,600年」とある。この年が昭和15年(1940年)であること、ほとんどの人がもう知らない。路地があり、井戸があり、階段があり、ぽっかりとタイムスリップしたような錯覚が生れる。そんな階段の一つを上ると目の前が春日通。横断してゴールの大塚公園に到着。軽くYTさんの号令で体操をして解散した。=約10キロ=

Posted by taichiro at 2003年03月22日 19:58